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Sao Paulo
"Hello, from the world!"は、世界の様々な街からのファッション・レポートです。
第14回は、南米最大の都市であり工業と経済の中心地サンパウロ。
年に1度のカーニバルで多いに熱くなったサンパウロの街から、吉田直人さんが写真とお便りを送ってくれました。
街のファッションスナップ Hello! from the world VOL.14
 私が最初に、飛行機からサンパウロの街を見て驚いたのは、所狭しと建ち並ぶビルの数。地震が無いため、新しい建物も古い建物も増える一方だったせいでしょうか。緯度は0度〜30度超で、ちょうどインドネシアから九州といったところ。今は夏で30度を超す暑さですが、雨が降れば20度を下回ることがあったり、夜になれば毛布一枚では足りなくなったり、一日に四季があるという、日本人にとっては掴み所の無い気候です。(陽が出れば、冬でも30度を超す時もあります) 
刺繍の入ったタンクトップが、とっても可憐
 ブラジルは16世紀にポルトガルの航海者に発見されてから、黒人奴隷をはじめ様々な国の人々が渡伯。日本人移民も間もなく100周年を迎えようとしています。ここサンパウロには日本人街、イタリア人街、ドイツ人街…と様々な街があり、いろんな国の文化が入り交じっています。先住民インディオの地ですが、目立つのはヨーロッパの文化やカトリック教であったり、黒人達がアフリカから持ち込んだ様々な宗教であったり。人種差別など無くなって、人々が他国の文化を日常に垣間見る事が出来るからこそ、ブラジレイロの気さくな明るいs性格が築かれたのでしょう。
 黒人と白人の混血であるケイラもそんなブラジレイロの一人で、おそらく学校帰りか何かだったんでしょうか、白の服にベージュのサンダリア姿で快く取材に応えてくれました。20歳の学生で、趣味は音楽鑑賞。最初、白いワンピースかと思ったら、よく見ると刺繍の入ったタンクトップに、ヒップラインに切り替えの入ったコットンのフレヤースカート。編み込みのヘアがとっても似合っていました。都会化してしまったサンパウロに、こんなラフなスタイルで歩くケイラを見ると、ブラジルを感じさせられて何だかホッとします。最後に"暮らしに愛を!"と(直訳で申し訳ない)、メッセージを残して行ってしまいました。
ケイラさん
くせのあるロングヘアをセンター分けで細い三つ編みにして、サイドのフェイスラインは後ろに流し、全体を帽子をかぶるような感じでまとめたアップスタイル。優しくさわやかなイメージ。
※画像をクリックすると拡大されます。
ケイラさん
ステファニアさん
何気ない配色、
カジュアルな中に大人のセンスが光ります
 ブラジルにはサンバの他にショーロ、MPB(Musica Popular Brasileira)、ボサノヴァ、アシェ、フォホッ、フレボ、ガウーシャ…と、数え切れない程の素晴らしい音楽があります。エレキギターをギュインギュイン言わしてるハードロッカーでも、オーケストラでヴァイオリンを華麗に奏でるお嬢様も、この殆どの音楽をこなしてしまうというブラジル人の頭の柔軟性には、ほとほと感心させられます。サンパウロではもっぱらサンバ、ショーロ、MPBが演奏されていて、週末ともなると近所のバーで歩道に椅子とテーブルを並べ、生演奏で盛り上がる光景をよく目にします。低価格でプロの演奏を観れる文化ホールらしき所も面白く、演奏者がショーを終えて客と飲むというのは日本では考え難いことですが、ここでは普通の光景です。
 30歳のステファニアは毎日ライヴを行うお店のオーナーで、いつも個性溢れる姿で現れます。突然の取材で少しはにかみながら写真を撮らせてくれました。ストーンウォッシュのジージャンにトルコブルーのインナー、ぶかぶかの7部丈パンツの白が、とってもおしゃれです。ケイラとは打って変って都会的な感じですが、黄色にブラウンの入ったショルダーバッグがアクセントになって、ブラジル人らしい配色だと思います。いつも満員御礼?のお店の閉店間際で少しお疲れの様子でしたが、ムイト・オブリガード(ありがとう)!
ステファニアさん
ナチュラルウェーブのショートヘア。フェイスラインを頭にピッタリ撫で付けてサイドとバックを自然にスタイリング。少し角張った眼鏡にぴったり。
※画像をクリックすると拡大されます。

【フェイジョアーダ】
 黒い豆と獣類の肉等を煮込んだ料理。元々、黒人奴隷が皇室に出した肉料理から余ったヘタ(ブタの耳やら、何かの胃袋やら)を塩漬け保存し、ある程度たまったら豆と煮込んで米と食べたらしい。現在水曜と土曜には、どこの店でもこのフェイジョアーダが出されている。豆の煮込みとライスを一緒に食べるのは、日本人にはなかなか考え難いが、はまればこれが美味い!ただ、安っぽい店は塩がきついので、渡伯計画者は心得たし!
フェイジョアーダ

【カシャーサ(ピンガ)】
 ブラジルを経済大国にのし上げた農作物であるサトウキビから作られた蒸留酒。甘い香りに強いアルコール、低価格。ビールよりも安く、早く酔えるという、騒ぐのが大好きなブラジレイロには恰好の酒だ。また仕事前、景気づけにクイッとやる姿もよく見掛ける。地酒とも言うべく、ブラジル各地に何百種というカシャーサがあり、現在私も某会社のそれを嗜んでいる?はまっている?

カシャーサ(ピンガ)


【シュラスコ】

 ご存知、でかい肉をでかい串に刺して、目の前で切り分けてくれる料理だ。これも安くて800円程度で食い放題。シュハスカリアと呼ばれる炭台が庭にあったり、会社の屋上にあったりして、家庭でもよく楽しまれている。
シュラスコ



【フェイラ】

 週末、幾つかの通りでは露店が並べられ、数々の変わった野菜や果物が売られにぎわう。食料には困らないブラジル。このスイカの味を試したい、と言うとすぐにかち割って味見をさせてくれる。他にも骨董市等もある。

フェイラ

【謝肉祭】
 カーニバルは、元々はヨーロッパ諸国の祭りだが、19世紀半ば、ブラジルに上陸。当時白人の一部上層部にのみ行われていたのが、黒人奴隷解放後、黒人達もアフロのリズムで祝うようになり、リオのカーニバルのように今では世界有数の巨大な祭りに発展して行った。
 リオのカーニバルは現在、ただのどんちゃん騒ぎではなく、専用ステージが設けられたコンテストになっている。年に一度上位8チームのエスコーラ・ヂ・サンバ(直訳するとサンバ学校、いわゆるサンバチーム)が競いあう。1チーム5000人程の中にバテリア(打楽器隊)が2、300人、指揮者やダンサー等を除くと殆どが普通の人々である。毎年各チームごとにテーマを決め、それに沿って曲、歌詞、衣装、山車等を作り、あの巨大なステージを練り歩く。人々にとって年に一度の晴れ舞台なのである。上位チームはテレビ中継もされ、有名人も一緒に行進するが、下位には多くのチーム、更に規模の小さいブロコと言われるチームも存在する。低階級層であるモッホの人々(昔、位の低い者達、とりわけ黒人たちが、誰も住まないモッホ(丘)に居を定めた)もここに集まる。当然、カーニバルの4日間は町中がすごい熱気に溢れかえる。
 サンパウロでもリオと同じくステージがありコンテストになっているが、北東部のサルバドールやレシーフェ等には昔のままステージは設けられておらず、いろんな通りで数チームが巨大な音響車と共に練り歩く。そこではサンバは演奏されず、パーカッションが中心になるのは変わらないが、アシェと言われる違ったリズムにエレキ・ギター等が使われる。更に北にあがるとフォホッと言われるアコーディオン、ザブンバ(大太鼓)、トライアングル等が使われる。
 そしてカーニバルが終わった次の日、街は異様な静けさに包まれる。"灰色の水曜日"と言われ、寂しさも感じられるものの、ブラジル人にとってはこれからが一年の始まりであり、エスコーラ・ジ・サンバはすでに来年のテーマを決め、再び動きはじめるのである。
Carnival
Carnival
Sao Paulo(サンパウロ)
ブラジルは南米大陸の約半分を占める、ロシア、カナダ、中国、米国に次いで5番目に広大な国土を持つ国である。標高約800mのサンパウロは、ブラジル経済の中枢となる南米最大の都市で、人口約1800万人、高層ビルの割り合いは世界第2位とも言われる。自由奔放でパワー溢れる国民性は、芸術、演劇などにも反映されている。

■Reporter
 吉田直人さんは25歳。料理人になるべく6年間修行していたのですが、いざ就職というときに、趣味でやっていたブラジル音楽のギターを究めたくなり渡伯。サンパウロでは寿司レストランを手伝いながら、サンバチームのギター奏者を狙って毎日ギターの特訓に明け暮れているとか。「今度帰国したら仕事に専念しようとは思っているものの、はたして音楽の世界から抜け出れるでしょうか…」と少々自信なげな吉田さんでした。





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