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| 明治通り、東郷神社の向かいという賑やかな場所に位置するI's(アイズ)は、表の喧騒とは打って変わった静かで明るいサロンです。1時間に1人の予約しかとらないこのお店は、ゆったりとくつろげるアットホームな空間。今回登場するのはオーナー・スタイリストの石田一也さんです。 |
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実家は岩手県の一関市で美容院をやっているんです。実家が美容院の場合、すんなりと親の後を継ぐか反発するかに分かれると思うんですが、僕の場合は後者でした。子供の頃は店舗と住まいが一緒だったので、たとえば食事中とかでもお客さまが来られると母親は食事を途中でやめて店に出ていってしまう。人の出入りも多いしね。もちろん今考えると当然なのですが、子供の頃はそれが嫌でね。だから公務員とか銀行員を目指していたのですが、面接で破れちゃったんです。それで手に職をつけるのもいいな、ということで美容師か理容師かってことになったんですけど、理容師はお客さまが男性ばかりですよね。やっぱり僕は女性が好きだから、という理由で美容師を選びました(笑)。
僕、車が大好きなんですよ。それで、地元のそれも家からちょっと離れた店に就職して車で通勤するというスタイルに憧れていたんですね。でも、両親が「どうせやるなら東京でやれ!」と言ったんです。やっぱり自分たちも東京でやりたかったという気持ちがあったんでしょうね。親戚は「いったん東京に出てしまったら絶対に戻ってこない」といって猛反対しましたけどね。それでも親は僕を東京の専門学校に行かせたんです。今にして思えばとてもありがたかったと両親に感謝しています。 |
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| 美容師になって18年目になるんですが、一度だけ辞めたいと思ったことがありました。専門学校を出て最初に就職したのは青山の老舗のサロン。そこはセットに力を入れていて、カットから着付けまでやる店でした。やはりオールラウンドで学べるところがいいなと思って選んだのですが、店長以外全員が女性という女の城でした。女性の中で僕だけ男でしかも一番年齢が若い。そうなるとストレスのはけ口として、矛先が全部僕に向いてしまうんですよね。昔はパーマをかけるときにロットにペーパーを巻いていたんですが、そのくしゃくしゃになったペーパーを洗って広げて乾かして再使用してたんですよ。そしたらあるとき、ある先輩が急にヒステリックになって、僕が並べていたペーパーを全部ひっくり返して、そしてそれを「全部拾え!」と言われたんです。そのときに、こんなことまでしてやっていかなきゃならないのかって悲しくなって、初めて親に電話したんです。そうしたら当時はまだインターン制でしたから「とにかく免許を取らなきゃなんにもならないだろ」と言われました。それで思い直して5年間、その店で頑張りました。とにかく技術者になりたかったですからね。でも、その店はカットやパーマよりセットがメインの店なので、だんだんと不安になってきたんです。それで当時、カリスマ美容師の頂点と言われた方の店に移ったんです。 |
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それまである程度、自分はできる!と思っていたのですが、新しい店でがく然としました。僕がやってきた技術がまったく通用しなかったんですよ。いや、表面的にはできているんですよ。でもそれは自己流だった。新しい店はとにかく技術にかけてはものすごくクオリティーの高いところで、ショーや雑誌の撮影も多く、最新の技術のカバーはもちろん、ひとつひとつの仕事に対する追求の仕方、理論的な掘り下げ方がものすごく深いんです。ここで初めて僕のやってきた技術が古いものだってことがわかったんです。ええ、ゼロからやり直しました。買い出しからシャンプーといったまったくの新人と同じ仕事からやりました。人間って美容師の仕事にかかわらず、気づくか気づかないかで大きく違うと思うんですよ。気づいても楽する方向に流れてしまうこともある。でも、何歳になってても気がついたらゼロからやっていくって大事なことだと思います。そこで辞めたら本当に負けですからね。
「じゃ、やろう!」と奮起したものの、やっぱり毎日ヘコみました(笑)。でも、技術力で一番大事なのは“自信”だと思うんです。おかげで1996年には、その年のヘアー雑誌の中から最も優れた作品を選ぶ、ジャパンヘアドレッシングアワーズにノミネートされるなど結果もついてくれるようになりました。その頃ですね、店長にこれからどうするんだ?と聞かれて「ずっとここでやっていきます!」と言えばよかったかと思うんですけど、ハッタリで「30歳までに独立します!」なんて大ぶろしき広げちゃったんです(笑)。運良く物件も見つかってホッとしていたのですが、急にその物件がダメになってしまって、おまけにそれがバレちゃった(笑)。店長からも「もっとやっててもいいよ」と言っていただいたのですが、ここで辞めなきゃずっとズルズルいてしまいそうで、物件がないけど辞めてしまったんです。 |
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運良くすぐにダメになった物件のすぐ近くに空き物件が出て、1999年の9月にこの店をオープンすることができました。うちの店は1時間に1人しか予約をとらないんです。そして一人の技術者が最初から最後まで担当するようにしています。そうしないと技術が分散されて、本当の顧客満足って得られないと思うから。僕は初めてのお客さまでも、これからこの先10年間は、この方の髪を切るんだ!と思いながら切っています。その方がおばあちゃんになって、じーさんになった僕がカットしているところを想像しながらね。自分に髪を切ることを任せていただいている、つまり僕を信頼してくださってるわけですよね。お客さまもスタッフにもそうなんですが、僕を信じてくれている人を大切にしたいと思うんです。店の雰囲気も極めてアットホーム。髪を切ったりセットしないときでも立ち寄っていただけるような店が理想です。
将来は岩手の郷里のほうにも店を持って、東京と岩手を行き来できるようになるのが夢。店舗の拡大は簡単ですけど、内容を充実させることが大切ですから、時間をかけて頑張ります。僕は酒と車と蕎麦が大好きなんですが、最近の休日はもっぱら酒ですね(笑)。昼間から蕎麦食べて日本酒飲んでのんびり。最近は健康ランドが気に入ってて、温泉入ってアカスリしたりしてリフレッシュしています。 |
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