「セクシーで、その上エレガント」ということは、女性としてはパーフェクト!男性はもちろん、女性達をも大いに惹きつける人のことです。
らしさが選んだ“セクシー・エレガンス”の女王は、
ジュリア・ロバーツ、その人です。
今日は、ジュリア・ロバーツのストーリーを話ながら、ジュリアが出演した映画のDVDやビデオの紹介をしましょう。部屋を快適な温度に保ち、ジュリアの世界に浸ってください。彼女の姿から、“セクシー・エレガンス”がいかなるものか、その神髄をお解りいただけると思います。
この秋、貴女もパーフェクト・ウーマンをめざして、“セクシー・エレガンス”をマスターしてみませんか?
JURIA ROBERTS’ STORY
ジュリア・ロバーツは、1967年10月28日、ジョージア州スミルナに生まれました。両親は地元で演劇学校を経営していましたが、彼女が4歳の時に離婚。兄弟とも離ればなれになってしまいました。ハイスクール時代に兄で俳優のエリック・ロバートが出演する映画の撮影現場を訪れ、女優をめざすようになります。
ジュリアの美貌は早くから注目を集め、オール・アメリカン・ビューティー(ミスアメリカ)に選ばれたこともあるほどで、その後、モデルを経て、88年に映画デビュー。同年、コネチカット州の田舎町ミスティックを舞台に、ビザハウスでアルバイトをしている仲良し3人娘の一夏の恋を、軽やかに描いたラブ・コメディ『ミスティック・ピザ』(88年)では、3人娘の一人として、あの大きな口を開けて笑うジュリアの顔がとっても印象的でした。
そもそも日本人は、「おちょぼ口」といって小さめのちょっと突き出た口が好きなのですが、あの横にでっかいジュリアの口は、ひょっとすると、あそこまで立派に大きいがゆえに、圧倒されながらも大いに魅了されているのかもしれません。
翌年89年、サリー・フィールドらのベテラン女優と共演した『マグノリアの花たち』(89年)では、糖尿病をおして子供を出産し、腎臓移植から死に至る若い母親を熱演。早くもオスカーの助演女優賞にノミネートされました。
そしてリチャード・ギアを王子役にしたシンデレラ・ストーリー『プリティ・ウーマン』((90年)で大ブレイク。最新のファッションに包まれた、細くってプロポーション抜群のジュリアの体に、男性達は見とれ、女性達は憧れたものでした。この映画で主演女優賞にノミネート。順風漫歩の女優航海が始まりました。
But alas、その後はあまりいい作品に恵まれず、私生活の男性遍歴にのみ話題が集中。ジュリアにとってはちょっと不遇な数年が過ぎます。とはいえ『愛の選択』(91年)では、冒頭の真っ赤なタイトスカートに大きなスーツケース、おぼつかない足取りで歩くジュリアは、ホントにホントにセクシーで、おもわずため息がもれてしまいました。
その後、キャメロン・ディアス扮する若い令嬢と元恋人との結婚を阻止しようと奮闘するものの、最後は身近にいた編集者の存在に気付くというロマンティックなお話の『ベスト・フレンズ・ウェディング』(97年)、ロンドンはノッティングヒルの平凡な本屋(ヒュー・グラント)とアメリカの人気女優(ジュリア)の恋をほのぼのと描いた『ノッティング・ヒルの恋人』(99年)、結婚式当日に何度もドタキャンする女性を演じた、『プリティ・ウーマン』の監督、主演トリオ再結集の『プリティ・ブライド』(99年)など、『プリティ・ウーマン』と同じラブコメディ路線のヒットで、自信を取り戻すことができました。
そして選んだのが、労働者階級の貧しい女性がヒロインのシリアス劇『エリン・ブロコビッチ』(00年)。大企業相手の環境汚染訴訟で全米史上最高額の和解金を手に入れた女性の実話を映画化した痛快作でしたが、周囲は成功を危ぶみます。しかしジュリアはこの映画で見事にオスカーの主演女優賞を獲得。名実ともにアメリカ・ナンバーワンの女優になったのです。
そんなジュリアのヘアスタイルは、大きなウェーブのカーリーヘア。そしてそれは、どんなに淫らなポーズをとっても、軽薄ではすっぱな言葉を投げても、あか抜けない安物の服を身につけていても、ゴージャスなカーリーヘアが華奢な両肩をすっぽり包んで、セクシーでエレガントな女性に見せてくれます。
誰かが言っていました。「大人の女の表情は、流した涙の分だけ美く輝く」と。ジュリアの輝きも、密かに流した涙の証かもしれません。
“セクシー・エレガンス”は大人の女の勲章です。貴女も“セクシー・エレガンス”の輝きを放つ、大人の女を目指しませんか? まずはジュリアのビデオでお勉強を。 |