21世紀の最も注目すべき職業は、"工業デザイナー"かも?!
日本の若い人はデザインセンスがいいですね。これからはもっと昔の文化や生活にも目を向けて欲しいな。そうしたらもっともっと生活が楽しくなりますよ。
僕のデザインの原点は、子供時代の思い出
一番良いところに行って、一番良いものを見て、
一番おいしいものを食べて…でも…
ミラノ人は、関西人?!
これから大切にしたいのは「魂」
日本の古い文化で遊ぼう
まず生活を一緒に楽しもう!
僕のデザインの原点は、子供時代の思い出
>>デザイナーには子どもの頃からなりたかったのですか?

 う〜ん、どうでしょう。うちの家は鉄工所をしていて築港にあったんですね。その辺りは今は大きな水族館や素敵な美術館、それに大観覧車なんかがありますが、そこは古くから瀬戸内海沿岸の旅客の乗船場であり、外国船員の行き交う国際的な街だったので、いろんな店や芝居小屋なんかもあったんですね。でも戦争が終わったときには焼け野原で、3歳の僕は市電の一番前に乗って疎開先の西田辺に行ったんですが、その時の景色、ぼんやりと覚えてますよ。そこでの子供時代は、まわりには自然がいっぱいでしたから、朝から晩まで、動物やら魚やらをみんな友達にして、近所の仲間と遊び回っていました。今思うと、こういう子供時代を送れたことはとてもラッキーでしたよね。そのころから絵を描くのは好きだったみたいです。きっとそんな動物たちの絵を描いてたんじゃないかなぁ。僕が今デザインしたり話したりするモノには、そんな子どもの頃の思い出が大きな影響を与えているようですよ。自分ではよくわかりませんけど、よくそう言われます。
 本当はアーティストになりたかった時期もあるんです。でもアーティストと言うのは、一人でやるってところがあるでしょ。それが僕にはあんまりあわないというか。それよりも子どもの頃のように、みんなで楽しくやっていくというのが好きだった。それに日常の暮らしの中で楽しいモノをつくったり、人が喜んでくれるようなものをつくるのが、やっぱり素敵だなと思ったんです。
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一番良いところに行って、一番良いものを見て、一番おいしいものを食べて…でも…
 浪花短期大学工業デザイン科を出て、アルミ製品メーカーの開発室に入りデザインを担当しました。そして24歳で独立して、ある家具メーカーから頼まれて電話機をのせる小さな家具をつくったら、ちょうど電話が普及期だったこともあって、これがあたりましてね。それでずいぶんいろんな企業から商品企画の注文をうけるようになって、毎月予算をいただけるようになったんです。それで、これからもデザインの仕事をするんだったら、いただいたお金を全部使って、ヨーロッパで一番良いところに行って、一番良いものを見て、一番良いレストランで一番おいしいもの食べようって思ったんです。ミラノへ行ったのですが、みるみる太ってきて(笑)。3カ月で断念して日本に帰ろうと思った頃、ミラノの知り合いが、グラフィックデザインの事務所が工業デザイナーを探してるから行ってみないかって言うんです。「明日から来てよ」ということになって。帰国を延期してしばらくそこで働いたんですが、最初に商品開発したものが、これがまた幸運にもヒットしましてね。その後、ベルニーニ社やカッシーニ社の家具のデザインも担当するようになって、独立しました。ほんとうにラッキーでした(笑)。
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ミラノ人は、関西人?!
>>ミラノに行かれたのが69年で、そこがとても気に入られたとか?

 そう、ミラノに来たときに「あれ、なんかここ来たことあるんじゃないか」みたいな親しみを覚えましてね。気候や風土が似ると人も似るのかなぁ? ミラノ人って、気性が関西風というか、合理的でノリがよくって(笑)、結構共通点あるんです。だから言葉はわからなかったけど、結構気持ちの上で通じ合うものがあったんですね。
 イタリアは日本と同じ敗戦国なんですが、50年代から60年代にかけて国策として生活のインフラの充実をはかったんですね。全土から看板をおろして木を植えて、狭い住宅を広い住宅に建て直した。家が広いとお客を呼びますよね、そうすると家はどんどんきれいになって、家具一つにもこだわるようになる。それが今のイタリア人のライフスタイルの基礎になったんですね。ミラノに行ったときに、そんな素敵な家で楽しそうに暮らしてるイタリア人を見て、良いなぁって思いました。
 でもね、日本人も昔は色んなモノにこだわって、職人がひとつずつ心をこめてつくったものを大切にして暮らしてたんですね。そして向こう三軒両隣、みんな仲が良かった。いつからでしょうね、変わってしまったのは。
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これから大切にしたいのは「魂」
>>それで、日本人にもそういう暮らしをしてほしくって、仕事のベースはあくまで日本に置いて、以来30年以上、ミラノと大阪を行き来しながら仕事を続けられてるんですよね。

 僕は日本人の暮らしぶりのレベルが、もっともっとあがると良いなぁと思ってるんです。そしたら今では消えつつあるような日本の伝統工芸にも、もっと目が向くようになるでしょうし、そしたら和紙や竹細工や、漆器や織物、そういった地場産業が驚くほど元気になると思うんです。71年に日本の手漉きの和紙を使ってTAKOという照明器具をイタリアのメーカーとつくったんですが、今回、それと同じ照明器具3種類を再度、イタリアの大手メーカーから全世界に向けて発売することになりました。この和紙には1000年にも渡って伝えられてきた日本の職人の技と心がこもっている。つまり日本の伝統工芸は、物づくりだけでなく芸能もみなそうですが、心と通じてるところがあって、魂が入っているんですね。だから世界中の人に愛される。僕はこの「魂」というのが、これから日本の産業のキーワードになると思いますよ。
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日本の古い文化で遊ぼう
>>ミラノに行かれたのが69年で、そこがとても気に入られたとか?

 ただうれしいのは、日本の若い人がほんとにセンスがいいことですね。世界のデザインに興味を持ってます。日本は情報の量がすごくたくさん溢れている。行って楽しむところもたくさんある。人とコミュニケーションしてものに触れることで、デザインセンスが磨かれるんです。あとはもっと過去の素晴らしい文化や生活にも興味を持って、もう一度それらを見直してほしいですね。そうしたらもっともっと生活ぶりが豊かになります。
お花見をね、多くの友人達と天満にある事務所のまでの桜の下でやってるんです。緋毛氈を引いて、日本古来の花見弁当やお菓子を揃えて、みんなで着物を着てね。これは一度やると病みつきになります。着物は、あの布一枚に手を通した瞬間、中の人間が変わるんです。一度試してみてください。そして"ラスト サムライ"のトム・クルーズのように、袴をかっこよくはいてみるのもいいですよね。
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まず生活を一緒に楽しもう!
>>日本人もバブルを経験したことで、消費の方法も変わったように思うのですが。

 ええ、バブルがはじけたショックから抜けて、自分の消費スタイルを持つようになりましたね。日常はコンビニの弁当も食べるし、100円ショップで買い物もする。でもあのレストランで一度は食事したいと思ったら、高くてもそこへ行くし、この椅子がどうしてもほしいと思ったら、高価でも買うようになった。大人社会になってきたように思います。僕はとてもいいことだと思います。身の回りに気に入ったモノがあると、ほんとに楽しいですから。
 それとやっぱりコミュニケーションですね。僕は食事の時によく奥さんから、「おいしかったらオイシイと言うて」と言われます。言わなくても分かるやろ、って思うんですけど、でもやっぱり「おいしいね」って言われると嬉しいですよね。これは「いたわり」とかじゃなくて、感動の共有なんです。自分の感動を言葉に載せるの、日本人は下手ですからね。その点、欧米の人は板についてる。彼らはお互い一緒に楽しい人生を過ごそうね、という考え方です。これは特にイタリア人を理解するときのキーワードだと思います。これからは、この「生活を一緒に楽しむ」ということを大切にしていきたいものです。人でも、モノでも、ね。
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工業デザイナー
大阪デザインフォーラム実行委員長
喜多 俊之

1942年大阪生まれ。69年よりイタリア・ミラノと日本で制作活動を開始。代表作WINKチェア(1981)、KICKテーブル(1984)が続けてニューヨーク近代美術館のパーマネントコレクションに選定されたのを皮切りに、ヨーロッパ、アメリカで授賞多数。数多くのデザイン・コンペティションの審査員も務め、環境及び空間、、工業デザインで国際的に活躍中。99年作品集「伝統と復活/紙と漆」発刊。
喜多 サロンファニチャー 東京デザイナーズウィーク
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※2004年8月3日公開時点での情報です。料金の表記は本文に明記のない限り消費税5%の税込価格です。
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